簡単な運動の重要性

簡単な運動の重要性

私は仕事上家に居る事が増えてしまい、一度も外に出なかった日も増えてしまいました。

そうなると今までの生活で気づかなかった事もあるものですね。

普通に会社通いだった頃は車通勤で無かったので、当然バスなどを使う為にある程度は歩いていたし、

会社によっては完全に徒歩のみで延々と歩いて通っていた事もありました。

私は歩くという事が苦では無かったのでそこまで問題に思ってなかったし、

歩くという事が身近だったので何とも意識はしていませんでした。

しかしこうして家で仕事するようになり、時折何故かイライラする日がありました。

家で行っているとはいえ仕事は仕事ですし、責任も相応に存在しています。

ですが、それでも普通に会社に通っていた時に比べてのストレスに比べれば大幅に緩和され、

好きな事を仕事に活かせているので辛いと思う事はほぼありません。

だったら、このイライラは何なのか?

私はそれが分からないまま、用事もあったので何となしに買い物がてら、

歩いてスーパーまで向かう事にしました。

するとどうでしょうか。

頭の中ははっきりとしてくるし、気分も上向きに変わってきます。

家に居っぱなしの時はイライラを抑えていれば暗く沈んだ心持になるし、

こうして文章を書いていても気が散っていて、

今落ち着いて書けるのが不思議なくらいです。

あのままだと仕事効率も落ち込んでいたのでは無いでしょうか。

昔から『体を動かさない事もストレスに繋がる』と言いますが、

今思えばあの時のイライラは、確かに「何かを持て余していたけど向けどころが無かった」

という焦燥感もあるような感じでしたね。

やっぱりこうした気分の時は少なからず運動をする事が、

健全な精神の維持に繋がるのでしょうか。

そう言えば優秀なビジネスマンは毎日に運動を取り入れていると聞きました。

時間の無いビジネスマンでも時間を割くくらいですから、

私も通勤の時間を割かなくて良い分、運動を日常的に取り入れたいですね。

実際のところ腕立てや腹筋のような筋トレは取り入れていますが、

筋トレと運動はなんだか体を動かした際の気分変動と違いますよね。

筋トレはあくまでも筋肉を付ける補助として思った方がいいかもしれません。

不快を与える人

「考えられない!」「信じられない!」といった類いの人の行いを見るたび、人は不快感を得てしまうものです。

先日、休日のドライブを楽しんでいたときのことです。私の運転する車が、赤信号によってとめられていると、交差点の先の対向車線に1台のワゴンタイプの車が見えました。

その車の運転者は、おそらく父親でしょう。助手席には奥さんと思わしき女性、奥のシートには子どもがチラチラと確認できましたから。男の年齢は30後半か40歳くらいといった感じです。ちょっと印象は良くありません。

というのも、右手にドリンクカップのようなものを持っており、それを持ったまま窓から外に腕をぶらんと出していたからです。

「危ないわぁ。バイクでも抜けてきたら腕持ってかれちゃうのになぁ」

そんなことを私は思っていました。

しばらくして信号は青に。私も対向の車もスタートしました。

そして対向の車がまさかと思っていたことをしでかしました。私の走る車線に向けて、運転手の男は手に持っていたドリンクカップを路上にぽいと捨てたのです。そして捨てられたコップは私の進行方向先に転がってきました。

「おい!」

私は驚くも、急にハンドルを切ったりブレーキをかけたら後続に危険が及ぶと考え、また、捨てられたのは紙カップであることが判断できたので、そのまま進行し「クシャ!」とカップを潰して走り抜けました。

その後、車をすぐに停めて車体を確認しましたが、トラブルは無いようで安心しました。ですが、あのドライバーに対する不快感はやり場がなく、折角のドライブが台無しになってしまいました。

まずですね、路上にものを捨てること事態、いけないでしょう。そしてさらに私が言いたいのは「奥さんが横にいて、子どもが一緒にいる状態でもそれをやるのか」ということです。

裏を返せばですよ、あのカップを捨てた父親は、子どもが将来車の運転中にゴミを捨てても注意をすることができないのですよ(まぁ、あのような方は注意という考えすら浮かばないでしょうが)。子どもが悪いことをしても叱れない。それで父親といえるのでしょうか。

また、そんな男性を夫として持った妻の心境はどうなのでしょうね。同じ発想をお持ちの方なら何にも感じる事はないのでしょうが、あの行為を妻が見て私と同じく不快に思ってしまう類いだったとしたら、たまったもんじゃないでしょうね。

こういう不快感を得るたびに私は思います。世界平和なんて到底無理だなって。